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目 次 |
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□花豆ライブラリーC
◆物語「レースの海」 □第四回「花豆の会」について ◆会の報告 ◆講演「安房直子さんの幻想」(岩崎京子) ◆「緑のスキップ」イメージ画 □その他 ◆白樺のテーブルトーク「朗読の持つ不思議な力」 ◆花豆文庫蔵書リスト3 ◆いい(e)メール ◆「師事」という言葉(峰岸明) ◆2000年度会計報告 ◆〜花豆・粒粒〜 ◆〜あとがき〜 |
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安房 直子 (本文より一部引用) |
| 緑のスキップを聞きながら 第四回「花豆の会」 根岸一博 |
| 去る、三月二日(土)、午後二時から、第四回「花豆の会−安房さんの世界を語り継ぐ−」が遊葉館で開催されました。曇り空ながら、時折日の差す暖かい日に恵まれました。参加者は三十五名で、仙台、広島、群馬からと、遠方からも多数の方がご出席くださいました。 まず、開会の挨拶が世話人から述べられ、夫君の峰岸さんからの、「今日は都合がつかず、皆様にお会いできなくて大変残念です。よい会になりますように念じています」というメッセージが紹介されました。 続いて岩崎京子先生から「安房さんの幻想」というタイトルでお話がありました。 話は、安房さんへのお詫びから始まりました。一九八七年の十月に、岩崎先生の主宰される「お母さんの勉強会」に安房さんを講師として招かれたそうです。その後、安房さんが、そのような会にご出席になられなかったらしいとのこと。先生はそれ以来、安房さんにお詫びがしたかったのだそうです。 そのときの質疑応答の紹介、そして安房さんの作品に出てくる料理のレシピ、職人、青色がお好きなこと、アンデルセン、グリム童話、源氏物語からの影響とお話はつきなく、興味深く展開し、私たちはあるところでは笑い、また納得し、またたく間に時間は過ぎ去っていきました。 岩崎先生のお話が終わると、少し会場の模様替えをして、二番目の「緑のスキップ」のイメージ画の製作へと移りました。参加者全員が四つのグループに分かれ、グループごとに二枚の絵を描くという試みです。 はじめに、小菅さんが、「緑のスキップ」のコピーに和紙の表紙をつけたかわいらしい本を作ってくださいましたので、全員に配りました。それから、イメージを喚起させるために四人の方が作品を朗読してくださり、その後、クレヨンを使ったり、桜色の薄紙をちぎって貼り付けたり、各グループとも熱心に話し合いがなされ、楽しく作業が進められました。 完成後、その絵を披露しながら朗読がなされ、作品の素晴らしい出来栄えに万雷の拍手が送られました。きっと安房さんにも届いたことでしょう。 その後、ティータイムとなり、各自ひとことずつ感想を語りました。源氏物語の中に流れる紫色の靄のような影が、安房さんの作品にも感じられること。深層心理から作品は生まれるのであろうが前回お話くださった小西氏とは、ことなった角度からの作品論が興味深く思われた、などなど、たくさんの感想が述べられました。また「花豆の会」を開く時期を五月の末あたりにしてはどうか、会場をもっと広い場所にするかなど、今後話し合って検討することになりました。名残惜しくもフィナーレとなり、明るかった外は、夕闇が近づいておりました。 作成した『緑のスキップ』イメージ画はこちらです→skip2.pdf (※ご覧になる方はPDFファイルが閲覧できるソフトウェアをご用意ください。) |
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| 「安房直子さんの幻想」 岩崎京子 |
| なんでこんな大役をお受けしたんだろうと、ずっと繁張していました。この一週間、死刑執行七日前、六日目、五日前とカウントダウンで、今この期に及んでも覚悟ができていません。それでも本日うかがったのは、安房さんにお詫ぴがしたかったからです。じつは一九七八年一○月、私たちの町の「お母さんの勉強会」に安房さんに来ていただきました。 この会は「リアリズム」、「ファンタジ−」、「子どもに戦争をどう伝えるか」などテーマをきめて、大体五、六回学習をして、最後に作家に来ていただきました。 学校の成績のいい優等生のような、それでいて控え目で、自慢の親戚のおねえさんみたいな安房さんは、忽ち私たちのアイドル。ところが安房さんは、「講演会はもうこりごり」とおっしゃったとか。それを聞いて私たちはしゅんとなりました。質疑応答がいけなかったのでしょうか。 ごめんなさい安房直子さん。 一 私が最初に会った安房文学は それは「海賊」にのった「鳥」でした。まずイントロからして意表をつかれました。主人公の少女はカモメの変身で、浜の少年と、その息子を溺愛する母親。よくある設定なのに、安房さんの心を通過しての再創造は、何とユニークなこと。「だれも知らない時間」の、無為に百年生きた亀の年をもらって、太鼓をうつ少年の話も、なんとも新鮮でした。 その頃おそい出発ながら私は、「童話」という同人誌に属し、人並みにファンタジーに憧れ、月だ星だすみれだとやっていましたが、与田準一先生はふき出すんですよ。 「あんたには似合わない。立原えりかさんなら似合うけど」 落ち込んだのですが、気を取り直し基本の文章から再出発しました。今だにリアリズムまっしぐら。もはやファンタジ−のかけらも残っていません。 しかしリアリズムでもその核にエスプリというか、ファンタジーがなくてはなりません。浜辺にころがって、あしたは星になると空を仰いでいるヒトデです。私は……。 さてつぎに「さんしょっ子」、「きつねの窓」をよみました。こっちは舞台は目本の山村、登場人物も小道具も日本そのもの。「鳥」が西欧のイメージなので、その違いがふしぎでした。 その頃いぬいとみこさんが「ながいながいペンギンの話」とか「木かげの家の小人たち」を出されましたが、御自身は「西欧のファンタジーの移植でなく、日本に根づき花開いた独自のものを創造したい」といわれてたので、或いは安房さんもそれを心がけ、研鑚されたのかと思いました。年表で見ますと、これらは「鳥」以前の作品なのですね。 その後の安房作品には、日本の山村を舞台に、そこに住む猟師や娘たち、鹿や狐、猫、鶴などが登場します。それは昔話のキャラクターですが、どうも安房さんは日本の昔話には興味がなく、しいていえぱ、「遠野物語」からは影響を受けられたとか。 私はもうひとつ安房さんのレシピが楽しかったです。「ふろふき大根のゆうべ」を読んで、私は大根を厚く切って煮込みくるみ味噌でいただきました。「花豆の煮えるまで」の時、花豆を煮ました。 安房作品でひかれるのは何といっても「鳥」です。最初に出会ったからかも。 「天の鹿」も魅力があります。この作については、世田谷の会で聴講のひとりが 「ぜひ、長編に挑戦していただきたい」 といったのに対し、さり気なく、 「自分もそう思っています。自分の壁をやぶってみたい」 といわれました。直後「母の友」で「天の鹿」の連載がはじまりました。当然準備は整い、はじめの何回分かはできていたでしょう。これも宜伝などしない謙虚な安房さんらしいと思いましたが。 「天の鹿」は鹿猟師の清十と三人の娘のパターンで、民話としでは異類婚の分類です。 作中、鹿に案内されていく市の様子がいきいき描かれていました。私は鹿といっしょに山こえ、谷こえの道中に脱帽。きのこの風、落ち葉の風、あけびの風、ぐみ、くるみ、どんぐりの風が耳をかすめるところ、詩情のある表現でした。 なぜかひかれたのは、「エブロンをかけためんどり」です。三十郎はおかみさんを亡くし三人の子育てで苦労していると、めんどりがやって来ます。 手ぎわよく家事をこなし、誠実に働くめんどりは三十郎が再婚する時さばかれて、とり肉だんご、からあげ、とりの煮つけになりました。 「どこの家でもやることさ。お祝いごとの時はみんな自分の家のにわとりをたべるんだよ」 それにしてもこわい。でもそのこわさがスパイス(辛い?)になり、かえってこの作にひかれました。グリムもさりげなくこういうマイナスの情緒を出しています。グリムが残酷という木も出ました。 二 安房直子さんの創作の秘密 世田谷の勉強会(度々の引用で恐れ入ります。私にはこれしか根拠がない)の講演で、安房さんは「色彩」についてふれられました。 「作品を書く時、まず絵のようにイメージが浮かんで来るんです。それから細かいすじ、登場人物が出て来て、書きはじめます」 例えば、「白」が書きたくて、「白いおうむの森」になり、黄色い菜の花畠の中を走ってくる女の子が出てきて、「手まり」になり、「緑」を書こうとして、「さんしょっ子」ができました。じつは私は青がすきなんです」 安房さんの頬はばら色、目がきらきら輝き、講演は好調になりました。 「人からなぜ青が?と聞かれますが、『海と空の色だから』と模範解答をしますが、本当はなぜなのか、自分でもわかりません。私の体の中に青にひかれる磁石があるのかもしれません」 ブルー系統のイメージはすぐ話を思いつき、すらすら書けるし、書いた後も気に入っているそうです。「きつねの窓」のいちめんのききょうの花、「青い花」のあじさいの青などでしょうか。そしていつか赤を書くつもりとか。 これは私たちのしつこい(ごめんなさい)質問の答えでしたが、 「どうして童話を書くようになったかといいますと、子どもの頃からメルヘン、例えばアンデルセンやグリムですが、世界名作全集をそろえてもらい、読みふけりました。その中で特にひかれたのは、『雪の女王』でした」 「いちばん勉強になったのは『源氏物語』でした。大学の卒論に『源氏物語の自然描写』というテーマを選んだので、筋とその背景になる季節との関連を考え、自然描写に使われた素材――花や木や雪など――を、視覚、聴覚、嗅覚の三つに分類し、素材が場面やすじとどうかかわっているかを調べました。そうしてみると、紫式部は場面に一番しっくりする背景描写としての季節を描いています。あとで童話を書く時、人物やすじを引き立てる為の描写を考えるようになりました」 「源氏物語」といわれて、その時何となく、ああ安房さんの原点ってこれ?創作の秘密もここなんだと思いました。 「源氏物語」のもつ、あの紫色のもやのようなかげ、それが安房さんの中に継承されているのでしょうか。 ひとりぼっち、さびしい孤独、死の別離など安房さんが好んで使われるマイナ−な情緒は、その陰影効果とは、又違うような気がするのですが……。 三 もうひとつの秘密 きょうここにうかがうのがこわかったのはもうひとつ。昨年の小西正保さんの「安房直子童話の深層」でした。さすが小西さん、快刀乱麻を断つみごとな太刀さばき、きれ味で、安房さんの陰影をユングの深層でクリアしていました。なんともあざやか。後を受けて困ってます。 「私が青にひかれるのは、本当はなぜなのか自分ではわかりません。私の体の中に青にひかれる磁石が……」 その磁石こそ、無意識の領域、安房さんの大脳にインプットされてるもののある証明ですね。 でも書き手は大恐慌。安房さんにしたって意識してなかったと思います。あ、だから無意識の領域なのか。ユングの深層心理って説得力ありますね。それですべて解決。でも書き手は簡単にクリアされると残念のような。 そういう私も深層心理が機能しているのでしようか。毎日平凡なあっけらかんのくらし。書くのもあっけらかん。つまり何も心が命じてくれないので、モチーフを求めて歩きまわるしかありません。どこ押しても深層心理ないみたい。 でも書かざるを得ないということは、やはり何か業みたいなものがあるのでしょうね。自分ではわからないから、これは小西さんにうかがいにいくしかありませんが……。何をいわれるかわからないのでやっぱりこわい。 本当いうと深層にしっかりインブットされたものを根拠に書くのが作家というものですね。それがわかったのに、すこし抵抗して、地団駄ふんでいます(了) |
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| 白樺のテーブルトーク 「朗読の持つ不思議な力」 |
| 「朗読」が、歌や演劇と同じく、一つの表現スタイルとして、市民権を得つつあります。安房さんの作品はとりわけ、朗読作品として、用いられることが多いようです。それは、室房さんの作品がもつ独特の雰囲気や、色彩感などが、朗読の持つ不思議なカによって、さらに豊かなイメージを生み出すからだと思います。 今回の「花豆の会」で試みられた『緑のスキッブ』のイメージ画制作は、語り手と共に聞き手も参加する、朗読の新しいあり方として、すばらしいと感じました。もし安房さんがここにいらしたら、作品の世界で遊ぶ方たちに、とても喜ばれたことと思います。 トットトットトット……緑のスキッブが森全体をうめつくす、というクライマックスでは、会場全体に、緑の香気が広がったように感じられました。 それと共に、今は亡き安房さんの思いが、今もしっかりと、作品世界に息づいていることを感じ、とてもうれしくなりました。 女優の吉永小百合さんが、朗読について言われていたことを思い出します「…声を出して読むことで、作者その人になる」と。(K) |
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| いい(e)メール |
| たくさんのお便りを頂きました。ありがとうこざいます。一部ですが、ご紹介させていただきます。
▼安房さんの作品世界がますますこの時代に大切になってさたように思えます。(作家 A.N.さん) ▼私が安房直子さんの作品に出会ったのは、教科書にのっていた「さつねのまど」です。ききょうの汁でそめた指から作り出された不思議な世界がなつかしく、もの悲しく、でもほっとする、そんな世界…。私は、大好きです。作品もいろいろ読みました。そして大のファンになりました。(E.U.さん) ▼安房さんの本を、これからも大事に、子どもたちに手渡していさたいと思っています。(編集者 N.K.さん) ▼年々、安房さんの作品が手に入りにくくなっています。若い世代の人たちの間にも、読者の輪をひろげたいものです。(作家 元編集者 M.K.さん) |
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| 「『師事』という言葉」 峰岸明 |
| 先日、花豆の会の事務局の方から、(安房直子さんは弟子をとっていたのか」という問合せがあった、とうかがいました。 家内の安房直子は、一切、お弟子さんを取るなどのことは、ありませんでした。 しかし、こんなことがありました。 勤め先の同僚でもあった如人のお嬢さんから新刊の童話の本を頂いたことがありました。その後書きを見て、一瞬目を疑いました。家内に「師事」した旨のことが記されていたからです。家内は、人前で話すことを最も不得手とし、日頃それを嫌っていました。まして、人に教えることなどのできる性格では、まったくなかったのです。 そこで、その知人に「師事」ではなく、「私淑」のほうがふさわしいのではないかと電話をしたのでした。 もっとも、現実にはそのようなことがなかったとしても、その方の心の中の思いについてまでは、知る術もありません。 ただ、「師事」という言葉が、一人歩きすることがないように、と思うのです。 |